第二章 川に沿って



 川に沿って車を上流に向かって走らせると、いつの頃からか、水の色がどんどん

透明感を増していくのが分かる。

 山はぐんぐん川岸に迫ってきて、見上げるような巨岩がところどころに出現する。

 空はみるみる細く長く道に沿って連なり、水は大きな岩を取り囲むようにして

左右に分かれ、再び激しくぶつかり合い、しぶきを上げながら流れ下る。

 その頃、車はすでに山中深く入り込み、山肌を鋭角に削り取った地道を、時折

小石などをはじき飛ばしながらガタガタと走っているのだ。

 川はさらに源流部にかけて、一層険しい渓相を垣間見せる。落差のある激しい

流れと谷間に響く水音。

 ときに流れを堰き止める大きな淵には、神秘的な色を携えた水が、青く底石を浮

かび上がらせている。

 その美しさに魅せられて車を止め、しばし休みをとる間、僕はあなたに、少し水の

話をしておこうと思う。



 少々休憩


 川の水が美しいとか、汚れているとかの見分けには、川にすむ生物を用いて判

定を行う分かりやすいとされている。

 微妙な環境の変化に対応が出来ない弱小生物を「環境指針生物」と言う。

 川を生息空間にする川虫などの水生昆虫はこの指針生物の代表でもある。

 水質を区分すると、きれいな方から順に、、「β中腐水性」、「α中腐水性」、

「強腐水性」と大きく四つに分けられる。この分け方を「生物学的水質判定」と呼

ぶそうだ。

 一般的に「きれいだ」というのは、「貧腐水性」の水を指している。アマゴは、この

「貧腐水性」水域に生息する。

 彼女たち(日本語の名刺にフランス語のような男性称や女性称があるとするなら

、僕は迷わず彼女という女性称を捧げる)と同じく、「きれい」な水に棲む川魚には、

イワナ、カジカ、アブラハヤなどがある。

 このような川魚の棲む川底の石を裏返してみると、カワゲラやカゲロウの幼虫を

見ることができる。

 水生昆虫の研究で知られる故・御所久衛門博士(五條市)の話によると、川

に、赤い虫(赤ユスリカやイトミミズ)が棲み、岸辺に黄色い花(セイダカアワダチソ

ウやセイヨウカラシナ)が咲き、白い鳥(サギの類)が飛来するようになると、その川

を取り巻く自然環境はずいぶん汚染されていると言う。

 そういえば、僕が住む町を縦断する吉野川は、もうすっかり昔の面影をなくしてし

まった。川底の砂利石はめっぽう少なくなり、岸辺には水際まで草が茂り、白い鳥

がどこからともなく飛んで来るようになった。

 純白のサギが、汚染を知らせる使者だと知っている人は案外少ない。美しいサ

ギの足下にはどっこい、彼らの食物となる汚濁生物の類が多く繁殖しているという

わけなのだ。

 吉野川をまたぐ橋の上から下を覗くと、流れの停止した水の中をたくさんの黒い

れが泳いでいる。「清流に魚が戻ってきた!」と喜ぶには少し早い。

 魚の正体はニゴイである。地元ではヒバチゴイと呼ばれる。図体ばかりがでかくて

骨が多く、食するに値しないと蔑視されている気の毒な魚である。

 実はこのニゴイも、水質区分で言うと、河口近くまでの下流域まで生息できる有

機汚染に強い魚なのである。ニゴイもまた、清流吉野川の名に警告を与える使

者である。

 吉野川が汚染されてきた原因はいろいろ言われている。

 周辺の森林伐採と宅地、農地開発。生活排水、下水の垂れ流し、農薬の流

入、ゴミの不法投棄、上流の大型ダム建設による水量の人口調節、コンクリート

で固められた治水工事、各所に沈められたコンクリートバラストによる水流の変化

や停滞。それらのことに起因する生態系の質的量的変化等々……。

 川の本質的にもっている生物間の自然淘汰による水の浄化作用が、人為的

用によって侵され続けてきた結果、川やその周辺の環境を破壊し始めたのだ。

 幼い頃、嬉々として雑魚を追いかけたあの思い出の川は何処へ行ってしまった

のだろう。

 真っ黒な子ガッパたちが群れた夏の川辺。流れる水を両の手のひらにすくい、喉

の渇きをうるおしたあの風景は、すでにここから三十キロメートルも上流に遡ってし

まった。