第六章 感性
故郷五條の話をしよう。
大都市大阪から、距離を隔てたこの町は、僕が生まれてからの三十数年(注)を振り返っても、
土道がアスファルトになり、鉄筋建ての大型店舗や、やたら豪華なパチンコ店が登場したくらいで
交通機関も一時間に一本のJR(旧国鉄)か、都市通勤には不適な奈良交通バスが相変わら
ず少数の利用客の貸し切り仕立てで走っているというのも従来のままだ。
人口の推移も三万三千人から二、三千人は増えたものの、僕が小学校時代に習った数字が
今も通用するという、過疎と過密の間でたいした変化もなく生きながらえてきた町なのだ。
十万都市構想という言葉は歴代の市長の慣用句でさえあった。
それが、ここに至ってやわら現実味を帯びてきた。
昨今の地価高騰のすさまじさは、サラリーマンがマイホームの夢を見る自由さえ禁じてしまった。
従来からの都市近郊住宅は、億単位で売買される時代に突入し、居住地を求める人々は好
む好まないに関わらず、地方に散らざるを得なくなった。
地方の開発ラッシュは、当然にしてこの五條市にも飛び火した。
山が削られ住宅団地ができた。
雑木林を切り払って工業団地ができた。
山裾の谷筋を埋め尽くしてゴルフ場ができた。市内のゴルフ場は計画中も含めて四カ所になっ
た。
県条例の「行政面積の約四%」という規制もなんその、営業中のゴルフ場だけで、すでに突破
しているのが実態だ。
吉野川河岸段丘から急速に緑が失われつつある。
少量の雨でも、川はすぐ茶色に濁るようになった。
土が川の石を覆い、石を住み処にしていた生物と、それらを食していた魚たち、魚釣りという文
化さえもが死滅直前の危機を迎えている。
誰がこんな景色を望んだろう。誰も望まなかったはずのことが、今現実に進行しているのだ。
五條市十万都市構想の要となる工業団地造成のため、国道沿いの雑木林を切り開いたとこ
ろ、タヌキやウサギに混じって一頭のシカが飛び出してきたという話を聞いた。こんな町の中で、野
生のシカがまだ生息していたということにも驚いたが、ブルドーザーに追われて飛び出したシカは、
その後、どうなったのだろうかと心配になった。
折しも、西吉野村の友人の誘いに応じて村の何人かの人たちと夜の更けるまで話に興じる機
会があった。
酒の話に始まって、文化・芸術論はもとより政治や宗教、詩背mんと人間、果ては男と女の話
まで。
久しぶりに「青春」した楽しいひとときであったが、その中で、先ほどの野生ジカの話題が出た。
これを聞いた初老の紳士が、ぽつりと「ファシズムだ。」と言った。
町なかに住むめずらしい野生ジカの存在に気を取られていた僕は、このひと言に強い衝撃と共
鳴を覚えた。
国歌ファシズムの行く末は、過去の忌まわしい戦争に経験済みのことであるが、自然に対する
人間の傲慢さを、ファッショだと言い切ったこの紳士の感性こそ、僕たちの市民感覚に欠落してい
たものではなかったか。
合理的で便利な社会を求めるあまり、人間にとって不合理で不便なものを悪としてきた僕たち
現代人の傲慢さを鋭く突いた言葉であった。
その日、集まった人の中に、河原の石泥棒から川石を守るために、黙々と川の石にペンキを塗
り続けている男がいた。
たまに、村に帰ってきた友人から、故郷の自然景観を壊すと指摘され、激論になったのだと言う。
彼の主張はこうだ。
「こうしている間にも、石泥棒は、後を絶たず出没している。だが、警察にも行政にも川石の窃
盗行為を厳重に監視する体制が無く、いわば、石泥棒を野放しにしている状態だ。当面、自己
防衛するしかない。ペンキのべったり染み込んだ石は商品価値が低く盗難に遭いにくい。しかし、
自然を求めて村にやってきた人は、せっかくの景観が台無しだと言う。確かに、人間にとっては「美
しい」とか「汚い」という感性の問題がつきまとうのだが、それは人間中心の見方で、川を生活の場
にしている虫や魚にとっては、その石が美しいかどうかは問題ではなく、石が奪われるということは、
住み処が奪われるかどうかの生死を賭した問題なのだ。子どもたちが、コンクリートで固められた
川を見て、さらに、ペンキで塗られた石を見て、これが故郷の自然だとあたりまえのように思い込
むことは確かに辛い。けれど、情に流されているうちに自然はどんどん破壊される。川が川であり続
けるために、僕は、誰に何と言われようともペンキを塗るのだ。」
彼の主張は、酒も入ってますます激していくのだが、人なつっこい瞳の奥に真に自然を愛する者
だけがもつ優しさと強さが満ちあふれていた。
乱開発をファッショだと言う感性。
川虫や魚の息づかいに心を寄せる感性。
ものごとの本質に迫る感性を、いつの間にか忘れて去っていた僕たち。
見かけや、形式の美しさを求め続けた現代人の感性は、最も重要な真実を見抜く力を喪失し
てしまっていたのだ。
後日、五條市を東西に流れる吉野川をまたぐ橋の上から、堤防沿いに掲げられた大きな掲示
板を見ていた。
「清流は我がふるさとの宝なり」
その下を、今日も茶色に濁った水が音もなく流れていた。
これをどう見るか。
それもまた、人の感性である。
(注)文中の数字は1989年時点。1980年代後半から1990年代初頭まで続いたバブル経済
は、その後崩壊し、景気は急激に後退。文中にある新規ゴルフ場計画も撤退を余儀なくされた。
2007年現在、五條市の人口は約3万7千人。2005年に五條市は、隣接する西吉野村、大
塔村と合併し、その分人口は増加したが、旧五條市の人口はほぼ横ばいのまま推移している。