第四章 三段仕掛けのルアーケース

 

 天然アマゴと養殖物の違いは、姿態や味だけに限ったものではない。

 野生を備えたアマゴの釣果は、季節、天候、時刻、水量、水温、あるいは渓相等によっても大

きく左右される。

 こうだかからこうだ、という方程式などなく、思わぬところで大釣りをしたり、期待しながら肩すかし

を食らうこともある。

 釣り専科などという教則本熟読したからといって釣れるものではないが、アマゴの生態を知らずに

渓に入ってよい結果が得られることもない。

 ビギナーズラックは確かにあるが決して続くことはない。ビギナーズラック経験者の次回の落胆はき

わめて大きい。

 経験はすべての師匠だ。

 繰り返し谷を歩くうちに、なんとなく川底の様子や魚の姿が見えてくるように思えるから不思議な

ものだ。

 渓流釣りの入門書をひもとけば、絵入り図入りの懇切丁寧な説明がある。ミチイトやハリスは何

号がいいとか、オモリはこれくらい、魚のいるポイントはここ、などなど。

 僕自身、そうした参考書を買いあさり、目を閉じれば挿絵が浮かんでくるほど勉学に親しみ、口

達者な釣り名人になっていた時期がある。

 しかし、所詮、書は書なのだ。写真の川は流れない。挿絵のアマゴは泳がない。こんな単純な

ことが理解できるまでに随分と時間がかかったような気がする。

 事実はもっと単純であり、また複雑なのである。



 ブルーギルという魚がいる。戦後、我が国に移植された魚

でクロダイ(チヌ)によく似た淡水魚だ。

 大阪の近郊市にある妻の実家の近くに大きな貯水池があ

って、日曜日ともなると釣り好き少年たちが足繁く通ってくる

のだ。

 義弟の誘いに応じて子どもたちを連れて遊びに行くことにした。

 彼とその息子たちは、釣りセットの3メートルにも満たない小さな竿をかついで目的の池に案内し

てくれた。

 よく晴れた五月の休日だった。

 義弟は、これでよく釣れるという自慢の釣り餌で釣り鉤を包んで糸を垂れた。さっそくアタリがあり

、長いセルロイドのウキが静かに水中に吸い込まれると、熱帯魚のような形に縦縞模様のある魚

が手元に飛び込んできた。

 僕はルアー竿に、流動ウキ仕掛けで投げ釣りを試みた。釣り鉤にはキジ(ミミズ)を付けて、遠く

深くに投げ込んだ。けっこう大きなブルーギルが食いついたりして、やった、やったと喜んだりしていた。

 と、側を二人の少年が通り過ぎようとした。両手に何やらいろんな道具を持っている。 

 「なあ、ぼく、この池でどんなもん釣れるねん。」と、聞くと、

 「ブルギル(地元の子どもたちはブルーギルのことをそう呼ぶらしい)やら、バス(ブラックバスのこと)

やらいっぱいおるよ。こんな大きいバスも釣れるよ。」と、両の手を広げて教えてくれる。

 「おじちゃん、釣れた。」と、僕のビニルバケツをのぞき込む。

 「ほら、これや。」

 「ブルギルやなあ。」

 人なつっこい少年たちといくつかの会話を交わすうち、ふと、片方の少年の持っている青い大きな

ケースが気になった。

 「ぼく、その中に、ルアー入ってるんか。」

 「うん。」

 「見せてくれへん。」

 誇らしげに開いたプラケースは三段仕掛けになっていて、中には余すところなく色とりどりのルアー

がぎっしりと並べられていた。野池の素朴な色調とはまるで対照的な、艶やかで妖しい輝きがそこ

にあった。

 「ぼく、小遣いもろうたら、きっとルアーばっかり買いに走ってるんやろ。」そう言うと、にこっと笑って

、「そうや。」と、答えた。

 すこし僕にも思い当たるところがあって、

 「これで何か釣ったことある。」と、聞くと、少年はちょこっと

首を横に振って小さく笑った。

 思わず次の問いが口から出そうになるのを抑えて、少年

たちの足を止めたことに礼を言って別れた。

 「アマゴって知ってる。」と、言いかけたのである。

 岸辺に沿ってだんだん小さくなる少年たちの後ろ姿を見やりながら、やっぱり聞かなくてよかったと

納得する僕であった。

 小遣いをそっくりルアーに置き換えてしまうことに夢中になっている少年と、夜のうちから手弁当で

車を走らせる大人にどれほどの違いがあるのだろう。

 身振り手振りで、アマゴという美しい水に住む魚の話をしたとして、あの少年たちに三段仕掛け

のプラケースに並べられた宝石の魅力を上回る話ができたかだろうか。

 静かな野池を愛する人がいれば、母なる海に出て行く人もある。そして、僕たちのように、冷たく

透明な水を求めて深い山の懐に潜り込む人種もいる。

 それぞれに、ああでもない、こうでもないと言いながらも結局は自分の流儀が最高だと哲学して

いる者たちばかりなのだ。

 ただひとつ言わせてもらえれば、少年たちよ。ルアーは飾っておくためにあるのではない。一日も

早く一匹の魚を釣り上げることだ。

 宝の持ち腐れなどとケチなことを言っているのではない。

 君たちのキラキラ光るルアー鉤にも似た感性が、より大きな感動を得る前に錆びてしまうことの方

を、僕は心配しているのだ。