第十三章 野糞講座
では始めよう。
ここにお集まりのみなさん、みたところまだお若いが、幾つになられた。
えっ、二十歳。
ああ、そうか、そうであった。
今日は成人式であった。
成人式をこんな山奥でと、けげんに思われた方もいらっしゃったであろうの。
実は、このわしとて、何で呼ばれたのか、いまだによくわからんのだよ。
ほら、市長のくせして、あそこで釣りに夢中になっているあの男、あれとわしは、どういう
わけか古くからの腐れ縁でな。
先日、一緒に一杯飲ってた時のことなのだが、突然、今年の成人式に来い、などと言
うのだ。
わしの成人式なんて忘れるくらいの昔のことだったから、訳がわからずぽかんとしている
と先生で来い、と言う。
さらにわからず、口を開けていたら、おまえが先生だと言う。
わしが、先生。
そう、おまえが先生。
ああ、そうか、アマゴ釣りなら先生だ、と答えると、そうではない、野糞先生だ、ときた。
うん、野糞もたしなんでおる、と言うと、それでよい、だから成人式に来い、というわけで
の。
あっ、そこのお嬢さん、聞こえなければもっとこっちへおいでなさい。
お嬢さん、歳は幾つ。
・・・・・・・・・・
そうか、二十歳だったな、二十歳。
ええっと、どこまで話したのかな。
そうそう、でみなさんに野糞の仕方を教えよということでな。
ま、ま、まま、お静かに。
ええっと、あなたも二十歳か、まるで三十過ぎのおっさんのようであるな。
いやいや、すまない。
わしの言い方が足りなかった。
歳よりずっと老けて、あいや、落ち着いて見えると、これ、みなさん笑わないで、静粛に、
静粛に願います。
どうも、話は苦手で申し訳ない。
で、野糞のことなのだが、これまでに経験のあるものは。
・・・・・・・・・・・
えっ、本当か、信じられんが。
誰もいない、ということは、今日が初体験というわけであるな。
よろしい、わしも教えがいがあるというものだ。
そこの髪の毛の長いお嬢さん、唇が青いぞ、もうもようしてきたのかな。
ちがう、ああそうか、そんなに緊張することはありませんぞ。なに、化粧。
ごほん、初体験といっても、おてんとさまの下でのことでありまして、あなたが、毎日あな
たのお宅でしていることでありますから。
それに、これは、人さまに見せびらかすものではありません。
自分ひとりの楽しみとして行為することでありますから。
野糞は、人に見せるなかれ、まま、仮に人さまに見られたところでどうってことはないの
でありますが。
ほれ、そこのあなた、耳にわっかをしておられるあなたです。
あなた、野糞の現場を誰かに見られたとしましょう。さて、照れくさいのは見た人、見ら
れた人のどちらとお考えになられるや。
ふむ、それが間違いなのであります。
行為者と目撃者とでは、圧倒的に行為者が優勢なのであります。
目を逸らせるのは必ず目撃者の方なのですな。
だから自信をもって堂々と大地を踏みしめておられるとよろしい。
おっ、さきほどのお嬢さん、ちょっと顔に赤みがさしてきましたぞ。
なに、恥ずかしい、そ、そうか。
ま、そのうちすぐ慣れるでありましょう。
つぎ、場所のことを話そうかの。
そこが草むらである時、これは一長一短での。
誰に見られる心配はないが、草の穂先が、柔らかなお知りをちくちく刺すという欠点が
ある。
そこで、草むらを選んだ時は、まず、下ごしらえをすることが肝心でな。
おおっ、さきほどの若い衆、よく気がつかれた。
さすが、歳の功、だてに歳は、いや、二十歳であったな。
その通り、立ちこんだところの草をしっかり踏みしめておくのだ。しかし、それだけでは満
点はやれぬ。
誰か、わかる者はいないかの。
・・・・・・・・・
では、教えよう。
まず、風の向きを調べる。
それから風上に向かって立ち、そこで草を踏みしめるのだが、同時に、目の前の草も最
低でも一メートル、できれば二メートルほども踏みしめ、倒しておくこと。
これは、実際に経験すればわかることであるのだが、地面とお尻との距離は極めて短
い。
元気のよい排泄物が出ると、それがお尻にぶつかるということも考慮しておかねばならな
いであろう。
そのための二メートルであるのだよ。
ひとつ生めば、二、三歩あゆむ。
またひとつ生めば、二、三歩あゆむ。
このようにすれば、風のおかげで臭いもなく、また、地面とお尻との距離の心配もなく、
常に新鮮・爽快な気分で自然を満喫できるでありましょう。
おお、拍手ですか、納得していただいて光栄であります。
なお、この方法は、蝿の多い場所では特に良い方法でもあるのです。
股ぐらをうるさく飛び交う蝿ほど気の散るものはありますまい。
そのような時、先に一つ餌付けをしておき、前に移動するのであります。これで、ずいぶ
ん落ち着いた気分になれるという次第であります。
林や、森の中でも同様のことが言えるのでありますが、ハチやヘビなどには十分注意を
払っていただきたい。
特に、男衆の方は、股ぐらに大切なものがひっついておりますので、防御には万全を期
する必要ありですな。
そこの方、男のくせに恥ずかしがることはない。
真っ赤になって、何、ビールの飲みすぎ。
ややこしいの。
さあて、わが野糞道において、最高の贅沢を味わえる場所をお教えしようかの。
ただし、一たびその味を覚えると、つぎからはありきたりの場所では満足できなくなること
が生じるが、その後のことはわしは知るまい。
おう、あなた、瞳が輝いてきておるではないか、やる気になってきておるの。
みなさん、あそこを見ていただきたい。
あの市長、まだ同じところを釣っておる。あそこは釣れんというのに。
あれはここだけの話だが、アマゴ釣りはへたくそでの。
今までずいぶん手ほどきをしてきたが、一向に上達せん。
口ではアマゴは釣れんわい、あははは。
あは、どこまでだったかの、ええっと、そう思い出した。
あの市長が竿を出しておるあのちょっと上手あたり、ごろ石がたくさん水面に顔を出して
いるのが見えるかな。
あそこを釣らずしてどこを釣るというのだ。
おーい、そこじゃあ釣れんぞう。
下手なくせして妙に頑固なのだから。
ええっと、どこまでだったかというと、そう、最高の場所の話であったの。
さて、賢明なる諸氏にはもうお判りかも知れぬ。
市長が夢中になって糸を垂れているところ、川。
そう、川である。
あのあたりの適当な石に足かけて放便する自分を想像してみたまえ。
ははは。
しかしだ、これは正確には野糞とは呼べないかもしれないの。
川糞だ、川糞、あははは。
あすこでいたせば、市長のやつ、驚くであろうな。あははは。
へぼ釣り師よ、糞くらえだ。
ははは、わははは、ごほ、ごほ。
あはは、壮大な水洗トイレである。
蝿もこぬ。
臭いもせぬ。
これが贅沢の極みでなくて何であろうか。
はは、おっ、あやつ一匹釣りおった。
さあてと、わしの話もひとまずここで終わりにしたいのであるが、何か質問はあるかね。
と、その一番後ろの、そうそう背の高いあなた。
何、もう少し大きな声で。
ふむふむ、おおそうか、あなたはなかなか本格派志向であるな。
だが、そこまで無理をしなくともよろしい、とわしは考えておる。
あなたがおっしゃる通り、昔は、たしかに後の始末に葉っぱなどを使ったりもしたが、そ
れが野糞の性格を誤解させる原因になったことも事実でな。
葉っぱは破れると爪の間にモノが挟まって後々やっかいこの上ないのだよ。
ほら、あなた、そんなきれいな長い爪では葉っぱが破れるのは必定でしょうが。
これこれ、そのようにまじまじと自分のつめを見つめるもんでない。
その上、臭いまでかぐもんでない。
そういうことがあるから、野糞が不潔で野蛮で下品なことのように思われてきたのだろう。
紙があるなら、それで始末するのは当然のことである。
自然な振る舞いというのは物にこだわることではない。
あくまでおのれの内面にあるものと理解していただきたい。
わしはな、野糞道は、精神上美しくなくてはならぬと考えておる。
しかし、これまでの話は、初級者向けということもあって、ごたごたといかにも野糞はこう
であらねばならぬというような印象をみなさんに与えたかもしれぬが、野糞の本道とは決
してそのように流儀に従うようなものではないのだ。
では、野糞とは何か、最後に一つだけ申しておこう。
野糞、それは己を解き放つ行為であり、その価値は己の認めうるところにある、とかなん
とか、ごちゃごちゃ難しいこと言ってしまって、いや、おはずかしい。
早い話が、ま、すりゃあわかるってことなんだな。
さあ、みんな行こうかの。
どこへって、そんな不思議そうな顔するもんでない。
あなた、金色の髪の毛の、そうあなた、わしの話聞いてましたか、なに、寝てたあ。
じゃまあ、お尻にうんちゃんくっつけちゃってください。
講座はおしまい。
つぎは実践。
では、解散。