第十章 スズメバチの話

 友人のY氏と十津川村に釣行した時のことを話そう。

 夏も終わりにさしかかり つつあった頃だ。湯の沸く河原に張ったテントを暗いう

ちから畳み、目的の谷に 車を走らせた。谷筋を走る明け方の冷気に包まれて

僕らは渓に入る。谷の上流部にそびえる山の頂付近が朝日を浴びて輝き始め

る。Vの字に切れ込んだ谷の底はまだうす暗い。辺り一面に沈んだ影の中で、

いよいよ釣り仕掛けを始める時、それは僕たちにとって一番心ときめく時間なの

だ。


 Y氏と僕は谷を上下に分けて釣り歩く。Y氏が竿を出し、しばらくして最初の

一匹を釣り上げるのを確認してから、僕は谷沿いの林道を彼の車でさらに奥

に向けて走らせる。林道終点付近で車を止め、そこから上流部を攻めるのだ。

 Y氏はさきほど入渓したところから谷を遡上し、この場所にたどり着くことにな

っている。約束の時刻は午前十時だから、たっぷり時間はある。快晴、水量や

や渇水ぎみ。そんな状況からすればできすぎの釣果であった。二十五センチク

ラス二匹を含む二十匹余の良型アマゴを手にすることができたのだから。この分

なら彼もけっこう釣っているだろうな、などと想いを巡らせながら竿を畳み、待ち

わせの場所へと山道を下っていった。緊張感がほどよく抜けていくと今度は

腹の虫が騒ぎ出した。弁当のことを考えながら足を速める。

車が見えた。車は場所を移動して影のある場所に停まっている。彼がすでに

戻ってきていることがわかる。太陽はすでにからりと晴れた空の中心付近に陣

取り、じりじりと山を焦がしている。標高のある山中とはいえ、直下に陽射しを

浴びた車の中は蒸し風呂のような有様になる。先に車に到着した彼はたまら

ず日陰に移動して僕を待っていたのだ。

 再会後に釣友が交わす言葉は決まっている。「どうやった。」窓を全開して

にもたれかかっているY氏に声を掛けた。「まあまあや。」返ってくる言葉も

たいがいそんなものだ。が、返事がない。「あれ、あかんかったんか。」聞き返そ

うとすると、思わぬ言葉が返ってきた。

「やられた。」「えっ何。」「ハチ・・・スズメバチ。」

まったく予想外の返事にとまどいながら彼を見ると、ぐったりとして元気がない。

「ど、どないしたん。」


 ここからY氏の話が始まる。

僕と別れて二時間ほど経った頃のこと。たて続けに良型アマゴを魚籠に納め

自然に笑みがこぼれてくる彼の耳元を移動する小さな黒い影があった。

同時に、彼の耳は戦闘機のような羽音を聞いた。「ハチ。」思うが早いか、続

けさまに頭部を刺された。激痛に竿を捨て、右手で頭を押さえ込んだところ、

今度はその手の甲を刺された。逃げた。岩の隙間に身を伏せる。逃げる隙に

更に顔を刺された。空中に舞い続けるハチの羽音を聞きながら、自分に起

こっている現実を理解し始めた。理性的であろうとすればするほど、一方で、

自分は今、死の危険と対面しているのではないかという怖れを感じた。痛みは

ますます激しくなってきたが、それより一刻も早くこの状況から逃げ出したい思

いだった。竿をその先に捨てたのは覚えているが、帽子や、それに眼鏡まで置

いてきたのはなぜだろう。まだ頭上に飛び交うハチの群れにおののきながら、そ

れらの遺物を取り戻し、やっとの思いでその場から脱出。林道まで駆け上が

った。

車にたどり着くまでの時間の長かったこと。クーラーボックスの氷水にタオルを

浸し、患部に押し当てていると痛みもいくぶん和らいできたようだ。しかし、

のうち全身にとりはだというのか湿疹が現れ、手足の末端がしびれてきた。どう

も目も霞むような感じがする。鼻と唇が異様に膨れあがり顔いっぱいに広がっ

たような妙な気分だ。

つい最近も身近な事件として、ハチに刺されてショック死した人を知っていた

のであれこれ考えないわけでもなかったが、ショック死は刺された直後に起こる

と聞いていたし、すでに相当の時間が経っている自分には生命の危険だけは

免れたようだと、不幸中の幸いと理解して自らを慰めていた。

 先ほどまでのしびれと不快な気分も徐々に失せて、なんとか落ち着いてきた

ところに、楽しい半日を過ごした元気な僕が帰ってきたというあんばいである。

まさか、それから十日も経たずして彼と同じ恐怖と痛みを味わうことになること

も知らず。


 昭和五十九年はスズメバチ惨禍の年であった。スズメバチに刺されて亡くな

った人が全国で三十名余にのぼり、NHKは「恐るべきスズメバチの実態」とい

う特集番組まで放映した。その前年には、僕のすむ町やとなり町でも死者が

出た。Y氏は聞きかじりの情報から、被災に遭い死に至った者のすべてが刺さ

れたショックと急激なアレルギー反応で即座に気を失い、短時間のうちに命を

落としたものと思っていた。しかし、事実を詳しく

聞いてみると、失神までに多少の時間があり、

「さむい。」「目が霞む。」と訴え、身体への外

症状として湿疹が現れるケースもあったよう

だ。すれば、Y氏の身体に現れた湿疹と悪寒

、しれや目の霞みという症状は、ひとつ間違

えばり返しのつかない命にかかわる状況であったということだ。Y氏も後でそ

こと聞き、あらためてハチの怖さを知ったと述懐している。あとひと月も釣

期を残しながら「もう、竿を納める。」と宣言したのも身に浸みた痛さのためば

かりではなかったのだ。


 このハチ事件があって一週間を少し過ぎたある日。僕はといえば、もうすっか

り先の出来事を忘れて、禁漁期までの残された時間を惜しんでせっせと渓流

に通い続けていた。

西吉野村のとある小さな支谷は、僕のホームグラウンドのひとつであった。雨

が降り、水が出ればとにかくよく釣れた。ふだんはまったく魚の影もないのに、

雨の後は魚が水底から湧いてくるのではないかと思えるような不思議な谷であ

った。その日の僕は、夕方の四時頃入渓し、日没までの数時間を楽しむ予定

だった。

 数日前の強い雨もすでに谷を流れ下り、すでに平水に戻っていたが、第一

から良型アマゴが飛びついてきた。ポイントというポイントでは必ずといってよい

ほど魚信があり、大漁を予感させた。すでに腰魚籠には二十匹を越えるアマゴ

が納まっていた。

 突然、目の前の朽ちた切り株付近からうなりを立てて僕をめがけ、まっしぐら

に飛んでくる幾つかの影を見た。

 と、そのうちの数匹が僕の後頭部に取り付いた。素手で払おうとしたその瞬

間、耳たぶの後ろが熱くなった。「ちっ、やられた。」思った時には、痛みは頭部

から顔面にかけて走り抜けていた。慌てて後退し、岩陰に身を伏せた。その時、

竿と帽子、そして眼鏡を放り出して逃げてきた自分に気がついた

 Y氏がハチにやられた時の様子を妻に話したところ、「なんで眼鏡まで置いて

きたんやろうね。」と問われ、そう言えばその通り、僕も同じ眼鏡人間なのだが、

眼鏡人間から眼鏡を取れば手足をもぎ取られたバッタ同然だ。妻の疑問に笑

って同意しながら、今度会った時に聞いてやろうと思いつつ、すっかり忘れてい

たのだ。

 そして、その答えは彼に聞くまでもなく自分で出すことになってしまったのだ。

岩陰に頭を抱えて身を伏せる時、まず眼鏡がじゃまになるのである。岩にレン

ズが触れ、大切な眼鏡が破損することを怖れて無意識のうちにはずしてしまっ

たのである。眼鏡族の哀しい習性か、痛みの中での泣きたいような笑いたい

ような複雑な気分を味わっていた。その後の僕は、まるで無知を絵に描いたよ

うなことを真剣に行い、後々の笑い話のネタになる。


 僕は後退した後、ポケットからハンカチを取り出した。それから背と頭をかがめ

窮屈きわまりない姿勢でおしっこをした。そのおしっこをハンカチにかけて痛む

患部に塗りつけた。つんと鼻を突く生暖かい自分の排泄物。

 「ハチにアンモニア」という旧式の方程式が脳裏をかすめたそのことを実行した

までのことであったが、痛みは治まるどころかますます激しくなってくる。頭をかし

げて車を飛ばし、家にたどり着く頃には目鼻の区別もなく、ぱんぱんに腫れ上

がった顔の僕であった。後に、アンモニアはハチ毒に何の効果もないことを知っ

て、思い出す度に笑えて仕方がないのだが、その時の本人は必死なのだから

それがまたおかしい。案の定、僕は翌日、職場を休むことになってしまった。


 翌日、まだ腫れの残る顔をぶらさげて職場に出るなり、「アマゴのたたり。」と

いう声が飛んできた。何のこっちゃない。みんなで寄ってたかって僕を笑いモンに

していたのだ。

 当然にして、その年僕は、Y氏同様再び竿を出すことはなかったことは語るま

ない。