31 十津川支流 川原樋川

  川原樋川は、野迫川村を貫く中心河川であり、生活河川でもある。いくつかの支谷を持ち、一部大塔町(旧大塔村)の赤谷も併せて十津川本流に合流する。高地にありながら平坦な河川で、集落はそれぞれの谷筋源流域に開かれているのが特徴だ。和歌山県境の尾根筋に高野・龍神スカイラインが走り、その尾根筋が川原樋川源流域でもある。最上流部の弓手原は学術上イワナの南限地とされており、ヤマトイワナが生息する。地元ではキリクチと呼ばれ、その名を冠した谷もある。


32 赤谷

  168号線天辻峠を南下すると猿谷ダムがある。あまり大きなダムではないが、紀ノ川水源として重要な役割を果たすダム湖だ。十津川水系にあって紀ノ川水源とはと不思議に思うかもしれないが、紀ノ川十津川総合開発の切り札となったダムである。水不足に悩む奈良盆地への吉野川分水を行えば下流の和歌山県民の水が不足する。そこで、熊野灘に流れる十津川の水の一部を、山越えで逆流させて吉野川支流の丹生川に注ぐ。奈良盆地に取水する水量と同じ水量を十津川の水で補うという壮大な土木工事が紀ノ川十津川総合開発だ。この猿谷ダム堰堤からさらに南に下ると、右岸に大きな支流が口を開けている。川原樋川だ。奈良県の最西部に位置する野迫川村から流れてくる大きな支流だ。十津川にかかる鉄橋をまたぎ川原樋川沿いにしばらく行くと、今度は左手(川原樋川右岸)に開く谷がある。これが赤谷である。

 6,7年前にオートキャンプ場ができて、以来、夏には各地からアウトドアを楽しみたい人たちで賑わっている。僕はそれ以来この谷には入らなくなってしまったのだが、釣りブームがやってくる前は、僕たちの仲間うちでは渓相もよく、大物が釣れる谷としてちょっと有名だった。浸食の激しい若い谷で、落差緩衝のためのコンクリート堰堤が数百メートルおきにつくられ、谷筋は断続的に寸断されてしまっている。そのおかげで、堰堤から堰堤の間はなだらかな瀬が続く女性的な穏やかな渓相だ。堰堤直下にはプールが出来て、大型のアマゴが捕れた。源流部の山の浸食が激しく砂利が大量に出る。だから下流部には土砂採取の業者が機械を導入して河原をダンプカーが走っている。砂利を取ったところに大きな水たまりが点々と出来てなんとも殺風景な荒れた河原になる。とても魚が住めそうには思えない。ところが、この河川の形態がおもしろい現象を生む。アマゴの降海型であるシラメが現れるのだ。

 アマゴはサケ化の仲間で、氷河時代に海に下れなくなったサケの先祖が陸封された魚だとされている。ところが今もアマゴの遺伝子には陸封以前の海に下る習性が残っており、実際、海に直結する大きな河川では川と海を行き交うアマゴが存在する。太平洋側固有種であるアマゴ(赤い斑点あり)の降海型をサツキマスとよび、日本海側固有種であるヤマメ(赤い斑点なし)の降海型をサクラマスとよぶ。いずれもサケと同じように川に戻ってくる。大きいものでは70センチにもなる。ふつう、アマゴは晩秋に川で産卵し、そのまま越冬する。(サケは産卵すると死を迎える)ところが、降海遺伝子を持つアマゴのメスは、産卵をせず体力をたくわえて川を下るのである。海に入る準備のため、うろこが発達し、銀白の美しいアマゴに変身する。これがシラメである。冬のメスアマゴは体力を消耗して黒く痩せこけて見るも痛々しい(釣り人はこうした姿をサビが入ったと言い、釣りの対象にしない)ほどであるが、シラメは油がのって身は太り、ぎらぎらと輝いている。もちろん、食べておいしい。

 赤谷下流にはこのシラメが出現したのだ。先に述べた下流域が平坦な水たまりの連続になるという谷の特殊な形態からくるものだと思われる。赤谷は僕の釣行には欠かせない谷のひとつであった理由のひとつが、本来冬場には釣りの対象とならないアマゴがこの赤谷だけは別であったということもある。もちろん冬季は条例により渓流魚は捕獲禁止である。お正月休みに寒バエ釣りに出かけてシラメに出逢った(ということにしておこう)のである。だけど、あれから長い月日が流れた。キャンパーで賑わう河原におそらくあの美しい魚体を見ることはもうない、と思う。

追記

 2011年紀伊半島豪雨で、赤谷は激しく荒れた。土砂ダムが生まれ危険地域に指定された。十津川出会い周辺の山肌がいくつも崩壊し、野迫川村に入る池津川道は現在も通行ができない。写真を新しくアップしたいが、しばらく時間がかかりそうである。(2013年記す)



33 池津川

    

雲海の池津川。

向こうの山はへっついさん(炊事場の火釜)の守り神で有名な荒神社のある荒神岳。

  池津川は、川原樋川本流と合流して十津川に注ぐ。野迫川村の渓流の特徴は、最上流部に集落があること。だから、谷は飲料水の源であり、同時に洗い物や生活汚水の排水溝ともなっていた。化学洗剤や農薬などが盛んに使われた頃、野迫川村のあまごたちにも異変がおこった。水量の少ない源流部では汚染の濃度は必然的に高くなる。奇形のあまごを見ることはめずらしいことではなかった。僕自身、実際に野迫川村のとある集落で背骨の曲がった奇形のあまごを何度か見たことがある。少し下流に鉱山があった。立里鉱山である。終戦まで掘り続けていたが、これも廃坑となった。鉱石や木材は、架線ではるか五條まで運ばれ、帰りには生活物資を乗せて行き来していたそうだ。村のにぎわいも今は昔。人は減り、学校は廃校になり、住人はほとんどが老人たちばかりになってしまった。



34 北股川

上:上流域の北股集落を流れる北股川。

下:北股川と川原樋川との合流部。入り口付近は川通ししやすい渓相だが、ごつごつと高度を上げて川通しは困難になる。

  役場がある上垣内あたりを源流にして直線にして約8キロ,高低差約400メートルを流れ下って川原樋川にそそぐ。上流部は、上垣内、北股の集落があり川には生活臭がある。下流に下るにつれて渓流の色合いが濃くなるが、谷に降りる道が数か所しかなく谷通しは寸断される。北股集落は、僕が社会人として出発した頃にお世話になったところで、愛着もあり、村を離れてからもこの谷によく入渓した。地味な景観の谷で大きな釣果を得られないかわりに失敗もない印象がある。風情は無いが、北股集落内での釣りは子供でも遊べる。



35 下谷

  野迫川村の最高峰、伯母子岳(1344m)を水源とする谷で、川原樋川本流との標高差が小さく、平均して穏やかな渓相である。写真は大股出合いで、すぐ奥に養殖場がある。野迫川村のアマゴ解禁日は4月に入ってからとなるが、この大又から本流の上流に集中して成魚放流する。引き船を使って放流するのでいたるところに魚影があり、誰にもそこそこの釣果があるため天の川同様に解禁日には太公望で賑わう。下谷から上流部には、林道が続いており比較的谷までの距離も小さく通して歩きやすい。上流でナベ割り谷と分岐し、こちらの谷が伯母子岳への本筋となり水量も多い。渓流釣りを始めて最初の尺サイズを挙げた思い出深い谷だ。



36 桧股谷  弓手原川

  学術上のイワナの南限地とされている。地元ではイワナはキリクチの名で呼ばれ、キリクチ谷の名を冠せられた谷もある。野迫川村でも最奥部に位置し、平家の落人伝承(平地区には維盛塚がある)が残るなど、人里離れた秘境地であったが、高野・龍神スカイラインが源流域の尾根筋を走ったことから、村からスカイラインに上るもっとも近い地域となった。写真は桧股谷の中間部でやさしい表情の渓相であるが、水量変化があり、雨後に本流に入りにくい時などに選択肢となる谷である。