07 吉野川支流井光川

 井光と書いてイカリと読む。吉野川右岸に注ぐ井光川は、すぐとなりの武木川同様、東吉野村との境界山地を水源とする小河川だ。適度な水量、ほどよい段差のある渓流である。車道は、谷に沿って標高をかせぐ。最近、谷の中間部に管理釣り場が出来、それより上流が、禁漁区に指定された。僕はこの上流域を井光川でのホームにしていたので、これはとても残念だ。すべては、商業ペースでの河川管理なのだ。この管理釣り場の名称は井氷鹿(イヒカ)の里と名づけられている。
 井氷鹿というのは、神話の中の登場人物だ。神武天皇(イワレ彦)の東征物語に登場する井氷鹿は「尾のある人」として描かれている。「尾生る人、井より出て来たりき。その名は井氷鹿」(古事記)」
 イワレ彦は、河内でナガスネ彦の軍勢に敗れた後、再起を期して大阪湾から熊野に至る。苦難の中、ヤタガラスが現れ、吉野川の川尻、宇智の里に先導したとされる。宇智とは宇智郡、つまり現在の五條市である。記では、イワレ彦の軍勢は、宇智から吉野を経てウダに入る経緯を描写しているが、各地で激しい戦闘を繰り広げるイワレ彦が、宇智や吉野では、その土地の住民との対立や戦闘の描写がないのがおもしろい。
 阿太の里には隼人伝承が今に伝えられており、渡来系民族のよしみがあったものと推測されるが、吉野についても漢民族の流れがあったのではないかと考えられるのである。それが、「尾のある人」なのだ。実際に尾のある人など生物学的に存在しない。しかし、布などで衣服に尾をつけるような風習があったとすれば、「尾のある人」は描写としては信ぴょう性を帯びてくる。今日のチベット自治区の東部にいたとされる哀牢夷という集団にかかわる話として、彼らは龍の入れ墨をし、衣服に尾をつけた仮装をしていたという伝説がある。井氷鹿は吉野首(よしののおびと)の祖であると記は記すが、漢民族の血が流れていたと考えるのもあながち間違っていないかもしれない。いずれにしても、宇智と井光がこのような縁で繋がっていたというのは興味深い。