37 十津川支流舟ノ川 

大峰連峰パノラマ。左に山上ヶ岳、右に明星ヶ岳、中央に近畿最高峰・八剣岳(弥山)を望む。
舟の川上流部。左は篠原滝付近。右は砂利に覆われた河川。源流部でもこんな様子。

 僕が小学生の頃、叔父が舟の川上流の篠原集落にある小学校に勤務していたことがあり、夏に泊まりで要ったことがある。今から思うと渓流に遊んだ最初の川だった。山は深く水は豊かで見事な渓流だった。地元の子どもたちは水中モリで見たこともない魚を突いていた。それがアメゴ。つまりアメノウオと僕の出会いはこの川に始まったと言える。どこまでも透明な、しかし5分と潜ってはいられないほど冷たい川の石の隙間にじっとたたずむ魚。いまでも鮮明に覚えている。林道が出来、奥の弥山に続く原生林の大規模伐採で、見事なまでに山荒れが進んで、いまや川は吉野川の中下流と変わらないくらいの砂利河川になってしまった。青々と水をたたえていた淵も歩いて渡れるほどの劇的な変化。左右のV字岩盤が水を激しく滑らせていた地獄谷と呼ばれる廊下も、砂利に埋まって見る影もない。吉野の奥地はたいがいがこんなふうになってしまった。わずか40年のことだ。舟の川は畿内でも有数の美しい渓流だと呼ばれていたのは幻のようだ。たしかに、僕が少年だった頃、小さな谷には手ですくえるくらいのアマゴの幼魚が群れていた。アマゴの養殖放流などなかった時代、子どもたちは谷に行っては天然アマゴの幼魚をすくい、それを本流に放流していた。舟の川は天然放流の元祖であったのかもしれない。一般に放流と言えば人工飼育されたアマゴを河川に放す事を指して言うのだが、ここ舟の川では長年、天然の放流をしていた数少ない河川のひとつだった。
 しかし、釣り人があふれ、一時荒れに荒れてアマゴなどどこにいるのだろうというくらいになっていたが、ここ数年、復活の兆しが見える。本流でもうまくいけば20センチクラスが15匹くらい釣れる。これは、成魚放流や稚魚放流など、人工的な放流を始めたことにもよるのだろうが、いっそのこと、釣れなくても自然にまかせておくほうがよかったかもしれないなどとも思う。もはや、吉野の渓流で純天然魚の川は皆無に等しくなった。
上流で谷は3つに分岐する。いずれも源流部の山荒れがあり、砂利が大量に谷を埋めている。本流筋は、弥山を水源とする地獄谷だ。上流に行くにつれ険しくなる。一人では決して行くなと地元の釣り名人にきつく諭されたのがいまだ気持ちにひっかかって、途中で引き返してしまう。